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旅の歌

昔の旅人さんから頂いたコメントで、歌のノートのことを思い出しました。

唄1
若い頃の旅は、この黒表紙のノートを持ち歩いていました。多分、旅の日記を書くつもりで購入したのだと思います。44年前のものなのでかなり傷んでいますが、今でも折にふれ開いて昔の旅を思い出しています。



唄
旅の日記を書くはずのノートの1ページ目には、北海道の美国ユースホステル(以下YHという)で覚えた「春便=はるだより」の、コード進行付き歌詞が書かれています。


春便は、島牧YHだったか、桃岩YHで生まれた歌だと思います。歌が生まれたYHから、ホステラー(YHに泊まった旅人)によって、別のYHへ歌が広がっていったのですね。



唄2
岩尾別旅情は、ランプの宿で有名だった岩尾別YHで生まれた歌です。この曲はB♭のコードが壁となり、私には演奏しにくいものでしたが、歌そのものは大好きでした。


唄3
旅の終わりは、多分、礼文島の桃岩YHで生まれたと思います。私はこの歌を能登半島の能登かつら崎YHで知りました。


唄5
北海道の次は沖縄の歌です。与那国小唄は与那国島の民宿で初めて聴いて、その後、西表島の民宿カンピラ荘で、毎晩泡盛を飲みながら歌いました。



唄6
てんさぐの花(ティンサグの花)は、沖縄の教訓歌です。幼い頃、ティンサグ(ホウセンカ)の花びらで爪を染めたように、親の教えは心に染めなさいという意味の歌詞です。


二見情話(ふたみじょうわ)は、知名定男作詞作曲の新民謡です。哀切な歌詞とメロディーで大好きな歌です。この歌もカンピラ荘の宴会で定番でした。後年、労組の役員として、沖縄の歴史を学習した中で、二見情話は、沖縄戦で引き裂かれた男女の哀歌だと気が付きました。旅していた若い頃は、沖縄のことを南の島の楽園としか思っていなかった自分を恥ずかしく思います。

沖縄の歴史や長年置かれてきた状況を、知らず、また知ろうともせず、沖縄の人々や沖縄の新聞を、悪しざまに言う一群の人々の行いには、本当に心が痛みます。そういう一群の人々は、弱者に対しての思いやりが欠如しています。そんな人々は、いざ自分が弱者となった時(死んで行く時)の事を想像できないのだと思います。


唄7
芭蕉布も新民謡です。美しいメロディーでこの歌もよく歌いました。
19の春は、田端義夫の歌で大ヒットして、奄美諸島や沖縄で広く歌われています。私が長逗留していた頃、民宿カンピラ荘の長女が19歳だったので、その頃を思い出す歌でもあります。


結局、ノートは旅の中で覚えた歌のノートとなり、私の思い出がいっぱい詰まった大切なものとなりました。長々と書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。



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コメント

No title

1972年「旅の終わり」がYHで流行りだしたころでかもいYHでは「かかしの唄」を歌いながら踊っていました。「春便」は残念ながら知りません。「19の春」は沖縄で沖縄大学の人に書いていた日記帳の裏側に歌詞を書いてもらったと思います。与那国では与那国民謡と他の島の民謡と公民館で交流発表会があったのですが当時興味が無かったので聞きませんでした。今思えば聞いておけば良い思い出になったことでしょう。

かもいYH

昔の旅人さん コメントありがとうございます。
かもいYHには、砂利道のアップダウンを走破しなければ、たどり着けなかったですね。私はかかしの歌は覚えていません。1974年当時のかもいYHでも歌われていたはずなのですが、なぜか記憶に残っていないのです。多分、私の感性にピンと来なかったのかもしれません。
与那国の歌で思い出すのは、与那国ションカネーですね。与那国は厳しい歴史があり、クブラバリなどの話は、涙無く聞けないものでした。

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