コメント
No title
1972年「旅の終わり」がYHで流行りだしたころでかもいYHでは「かかしの唄」を歌いながら踊っていました。「春便」は残念ながら知りません。「19の春」は沖縄で沖縄大学の人に書いていた日記帳の裏側に歌詞を書いてもらったと思います。与那国では与那国民謡と他の島の民謡と公民館で交流発表会があったのですが当時興味が無かったので聞きませんでした。今思えば聞いておけば良い思い出になったことでしょう。
かもいYH
昔の旅人さん コメントありがとうございます。
かもいYHには、砂利道のアップダウンを走破しなければ、たどり着けなかったですね。私はかかしの歌は覚えていません。1974年当時のかもいYHでも歌われていたはずなのですが、なぜか記憶に残っていないのです。多分、私の感性にピンと来なかったのかもしれません。
与那国の歌で思い出すのは、与那国ションカネーですね。与那国は厳しい歴史があり、クブラバリなどの話は、涙無く聞けないものでした。
かもいYHには、砂利道のアップダウンを走破しなければ、たどり着けなかったですね。私はかかしの歌は覚えていません。1974年当時のかもいYHでも歌われていたはずなのですが、なぜか記憶に残っていないのです。多分、私の感性にピンと来なかったのかもしれません。
与那国の歌で思い出すのは、与那国ションカネーですね。与那国は厳しい歴史があり、クブラバリなどの話は、涙無く聞けないものでした。