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過去への旅路シリーズ再開 その1

この4月から3年間の契約で仕事を始めたので、しばらくは長期の旅に出られなくなりました。仕方なく過去の旅路シリーズを再開します。

ツーリング2

たぶん1972年に撮影された写真で、苫小牧から静内を経て襟裳岬まで海沿いを走る黄金道路です。この写真は、昔の旅人さんに提供していただきました。

現在、黄金道路という言葉は、死語になっていると思います。黄金道路の由来は、当時、莫大な費用で建設した事からとか、海岸沿いのとんでもない悪路なので、全線走破すると車も身体も黄金色に汚れるとか言われていました。


ツーリングあ
私は1974年9月に、ヤマハXS650というオートバイで黄金道路を走破して、襟裳岬YHに宿泊しました。このYHでは様々な出会いがありました。画像の東京から来たCB500乗りのライダーと知り合い、その後、東京の自宅に泊めてもらった事もあります。

この写真を見ると、ホンダCB500は、すでにフロントブレーキが、ディスクになっていることが分かります。それに比べて私のヤマハXS650は、旧態依然のドラムブレーキですね。


ツーリング5

私のアルバムには、この写真の説明書きに「1974年9月襟裳岬」とあるのですが、礼文島のスコトン岬のような気もします。昔の旅人さんなら、分かると思いますが。

襟裳岬YHといえば、YHでヘルパーをしていた女性と、1週間ほど共に北海道を旅した事をすでに書いたと思います。あの頃の旅は、男性であれ女性であれ、様々な出会いが無数にありました。そのほとんどが忘却の彼方となりましたが、心が暖かくなる思い出はまだ残っています。

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コメント

バイクの横の二枚目の方は・・・

こんにちは。
44年前の旅の1ページ・・・・。無責任なことを言いますが多感な時代の思い出は酸っぱい味がしますね。
写真は襟裳岬だと思いますが、今度行かれて確認するのも楽しみですね。

ブレーキ

70年代のディスクブレーキは、見栄えはともかく、あまり褒められた性能ではなかったような気がします。
よく整備されたツーリーディングのドラムブレーキは、結構強力に効きますし。
ただ上り坂での停車は怖かったですね。

襟裳岬の写真、ストリートビューの画像と比較しても、よく似ていると思いますよ。

恥ずかしい事ばかり

さかやんさん コメントありがとうございます。
思い出せば恥ずかしい事ばかりの青春時代でしたね。吉田拓郎の歌に、そんな歌詞があったような気がします。ところで、この写真は襟裳岬で間違いないようですが、撮影者の私には記憶がまったく残っていません。当時の襟裳岬には、何もなかったのでしょうか。

効かないブレーキ

Shinjiさん コメントありがとうございます。
当時のディスクブレーキは、雨が降ると全く効かない、今なら欠陥車で、リコールものでしたね。私は初期のSR500に雨の日に乗る時は、時々ブレーキを軽くかけて、ディスクに熱を持たせることで対処していました。
Shinjiさんが仰るように、ドラムブレーキは、バイクが後退するときに、効きが甘いので、怖かった事を思い出しました。また、整備不良の私のバイクは、雨の降り始めに、いきなりロックする現象もありました。当時は、そんな欠陥だらけのバイクを、
だましだまし乗っていたんですね。
襟裳岬のサジェスチョンありがとうございました。

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