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過去への旅路シリーズ13 沖縄編

1974年8月に徳島に帰ってきました。確かその年に、倉敷から郷里にUターンしたのだと思います。

1か月近く実家ですごして、9月の初めに沖縄に向けて出発しました。

無職の身で時間だけはいくらでもありましたから、飛行機には一切乗らず全部海路です。大阪港から奄美諸島に寄港しながら那覇までの船(関西汽船だったような)で2昼夜かけて渡りました。


9月7日に那覇ユースホステルに泊まっています。那覇では1泊しかせず、すぐに宮古島まで移動しました。そして、宮古島行きの船(会社は覚えていません)は、那覇を夜出て早朝に宮古島に着きます。


宮古島行きの船中で出た夕食が印象深い物でした。ステンレスの皿に盛られた具の無いチャーハンのような物で、使われた油のせいなのか変な匂いがした事を覚えています。その時はまだ沖縄の食べ物に慣れていないので、変な匂いと感じたののでしょう。しばらくしてからは、その匂いが気にならなくなりました。


宮古島では、確か3泊ぐらいしたと思います。宮古島の近くの伊良部島でも1泊しました。伊良部島では、お年寄りの風貌に沖縄の人の特徴が色濃く出ていて、遠くまで来たんだなあという感慨を覚えました。


宮古島から船で石垣島に渡りました。石垣島から日本最西端の与那国島に行ったのですが、この時は大変な船旅でありました。
与那国島 (2)
与那国島では民宿で一緒になった3人でレンタカーを借りて島を回りました。



与那国島
東岬で記念写真を。若者はよくこんな所に行きますよね。 この仲間たちと1週間ほど与那国で過ごしました。



さて、与那国島から石垣島に帰る時が大変だったのです。その事は次回に書きます。
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コメント

No title

時代を感じる良い写真ですね~
風情があります

No title

コメントありがとうございます。
当ブログは、昔の旅を書いているので、自己満足に過ぎないと思っていましたが、コメントを頂いたことに驚きと喜びを感じます。本当はリアルタイムの旅について書きたいのですが、今のところは家庭の事情が許しませんので、このようなブログとなっております。
さて、貴ブログのCRF250L関連を読ませていただいております。広島東インターで転倒されたとのこと。私は本日、車で広島から徳島まで高速道路で帰ってきました。あのインターは、カーブが急な感じがあったので、それが原因の一つかもわかりませんね。なにはともあれ、バイクはある程度の危険を伴いますので、慎重に楽しみたいものだと思います。
今後も昔の旅とエンデューロレース等を書いていこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

No title

yhのスタンプからたどり着きました。スタンプのyhはほとんど泊まっています。長柱の河原で竹藪越しにミカンの作業小屋をみながらアユ釣りをしています。

ご近所?

どなたか存じませんが、古い記事にコメントをいただきありがとうございます。
さて、コメントを読ませていただきますと、ずいぶん近くにおられるようですね。竹藪ごしに見えるミカンの作業小屋とは、どのあたりだろうと想像を巡らせています。なにはともあれ、ご近所にお住まいであれば、旅話などを交わしてみたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。

No title

1975年4月も終わりのころ大阪南港より奄美諸島に寄港しながら沖縄に着きました那覇YHに泊まりました。石垣島に渡り小浜島、竹富島、波照間島、を巡り船で与那国島に渡りました。与那国では2か月ぐらいいました。海運会社がビルを建てるときの基礎作業と生コン打ちのアルバイト、稲刈りのアルバイト。北牧場に釣りに行ったりクブラバリ、タンダバナ、ヨナグニサン、東崎、西崎。TVは台湾放送写りました。与那国馬、水牛、パイナップルみたいなアダンの実。ちょうど沖縄海洋博が開かれた時で100円の記念コインを両替した思い出があります。東崎で写している写真は灯台の裏側の少し下って突き出している岩場ではないでしょうか。

記憶

昔の旅人さん いつもコメントありがとうございます。
コンクリート打の仕事は、大変だったでしょうね。私は旅の途中でアルバイトはあまりやらなかったですね。それにしても昔の旅人さんは、与那国島での事をよく覚えていますね。私は東崎にどう行ったかも覚えていません。あの時のメンバーの中に、女性が居れば覚えているんでしょうが、男ばかりだったので、記憶がないのでしょう。そういえば、八重山では、必ず女性との出会いがあったのに、与那国島まで来る女性はすくなかったのでしょうか。

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オッカイポ

Author:オッカイポ
旅・バイク・音楽・真空管アンプ等について綴っていきます。