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過去への旅路シリーズ14  ゲロ船そして波照間島と竹富島

1974年9月 先島の旅です。

与那国島から石垣島まで帰るのは、100トン程のボロ船でした。この船には大変な思いをさせられました。

明日は与那国島を出る予定で、最後の宴会を民宿でしたのです。ところが、その宴会に、なぜか与那国航路の船長と船員さんが居るのです。で、船長になぜ宴会に出ているのか聞いてみたところ「今日は中秋の名月なんだから、お月見をしたいからさ~  だから明日は船を休むさ~」とのたまうのです。そこで、私は「ちょっと待ってよ、明日から明後日には、台風が接近するのに、そんなにのんきにしていいのですか?」と聞いたと記憶しています。でもそんな事は意に介さず、船長と船員さんは酔っぱらってしまいました。

という訳で、与那国島出航は2日後となって、文字通りの超絶ゲロ船となったのです。

船室の丸窓から外を見ていると、船が波の高いところに放り上げられると、もう空しか見えません。反対に船が波の底に引きづりこまれると、もう海の底しか見えないという地獄状態です。私がゲロをするために、這いながらトイレに行くと先客があったのです。なんとそれは、与那国島の民宿で一緒にお酒を飲んだ船員さんでした。その船員さんが「いや~今日はよくゆれるさ~ 僕もゲロしたさ~」もういい加減にしろよです。

とにかくこれ以上の船酔いをしないように、ひたすら船室で横になっていたのですが、船が揺れるたびにあっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロと転がされてしまうのです。船室の丸窓の隙間からは、海水がドバー(これは盛ってしまいました)入って来るし、もう人生ここで終わるかと思いました。

そんな思いをしながら、やっと石垣島に着いたのですが、その後3日間ほど揺れる感覚が消えない症状に悩まされました。

私はサービス精神からか話を盛るクセがあるらしいのですが、この時のゲロ船に関しては、一切盛っていないことを念のため申し添えます。




そんな大変な思いをして石垣島にたどり着いて、次は波照間島に行きました。85年 波照間島
日本最南端の場所で記念撮影しました。波照間島は2泊ほどしたでしょうか。なお、写真の左の傷は、フィルムに付いていたようです。




竹富島にて
85年 竹富島
竹富島では、3泊程したと思います。とても良い島でした。


次回はいよいよ西表島沈没日記です。
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コメント

No title

青春の一コマですね。
私もですが、あの頃は・・・(笑)

No title

よしさん コメントありがとうございます。
もう40年以上前の出来事ですが、今でもあれは沈没寸前だったと思うほどの体験でした。
これからも昔のトホホな旅の思い出や、現在の旅について書いて行こうと思います。あと、バイク関連にについても同様です。今後ともよろしくお願いいたします。

No title

波照間島では海が荒れていて何日も船が出ず島に閉じ込められました。竹富島ではちょうど島の運動会が開催されていて綱引きに飛び入りで参加させてもらい入浴石鹸を一つ貰った思い出があります。

景品

昔の旅人さん コメントありがとうございます。
私は、利尻島でカラオケ大会に出て、何か覚えていませんが、景品をもらいました。

こんばんは

拝見しました
100トン程度の船で外洋に出たらそれは大変なことになりますね
しかも台風の影響があったのではひとたまりもありません
欠航にしてもおかしくないかと思いますが、船長も船員さんも二日酔い?で出すなんて今では考えられないような気がします
おおらかな時代でしたね(^^ゞ
昭和49年ですか
バミューダ姿のオッカイポさんカッコイイですね!
ユースホステルや旅人民宿など若者宿が全盛の時代ですね(^^)

お恥ずかしい!

ぬぱぱさん こんばんは。コメントありがとうございました。
与那国丸(船名はうろ覚え)の甲板に打ち付けた海水が、船室に侵入してきたのは記憶違いではないので、まさに沈没寸前だったと思います。その時の船で出会った米子市の男性とは、西表島で1か月程、カンピラ荘という民宿で共にすごして親友になりました。
40数年前の写真をカッコいいと書いていただきましたが、今の私は小柄なじいさんになってしまいました。石狩挽歌「オンボロボロロ~」が、聞こえてきます。
おそまつでした。

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オッカイポ

Author:オッカイポ
旅・バイク・音楽・真空管アンプ等について綴っていきます。