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過去のへの旅路シリーズ15 西表島パート1

1975年先島の旅を続けます。

私は宮古島から石垣島に渡り、その後、与那国島・波照間島・竹富島と回って、いよいよ西表島です。

与那国島からの帰りのゲロ船だったのか、波照間島からの帰りの船だったのか、今となっては記憶があいまいですが、その船の中で西表島には、とても居心地の良い民宿があると聞いたのです。

私は、その民宿の事を、その民宿でヘルパーをしていた、Aという女性から聞いたと記憶しています。しかし、それはあなたの勘違いだと言う人もいました。なにはともあれ、誰かにその民宿の評判を聞いたことが、その後、長期間お世話になったきっかけであるのは間違いありません。

カンピラ荘前にて
カンピラ荘玄関前での記念撮影。  まだ若いおじいとおばあが写っています。


私の肩に手をかけているのは、タケトラ君です。彼は、その後、大学を卒業して日本郵船に就職しました。たぶん今頃は偉いさんになっているかも分かりません。右隣の背の高い女性は、沖縄海洋博のコンパニオンさんだったと思います。西表島横断後、東部地区から横断メンバーと共に、道の無い海岸沿いを歩いて来た方です。


当時、西表島では、大人の男性を「おじい」同じく大人の女性を「おばあ」と呼んでいたと思います。そうすると今は、あのYちゃんも「おばあ」と呼ばれているのでしょうか?



当時、カンピラ荘は、40歳代前半のおじいと30歳代後半のおばあ、そして、その年の春に高校を卒業したばかりの長女Yちゃんが営んでいました。また、スタッフとして、常時1~2名の女性ヘルパーも働いていました。




カンピラ荘では、サンゴの海で素潜り、魚突き、貝細工、滝めぐり、西表島横断旅行、パイン狩り、ヤシガニ取りなどなど、毎日毎日が楽しいことばかりでした。
85年 パイン畑
おじいのパイン畑で。  真ん中の女性は、新潟から来ていたカンピラ荘のリピーターでした。



毎夜毎夜、カルビーカッパエビセンをあてにしながら、泡盛を飲んで、おじいの三線の伴奏で島唄を歌いました。カンピラ荘 宴会
宴会で歌っています。左の女性が長女Yちゃん。 そして、おじい。 右側の女性がヘルパーのAちゃんです。


カンピラ荘ですごした1975年の旅は、その後の私の人生にとても大きな影響を与えてくれました。


これから、続けてカンピラ荘の思い出を書いていきたいと思います。



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