FC2ブログ

記事一覧

過去への旅路シリーズ 最終編

西表島での日々は、まさに夢のようでした。


しかし、このまま旅を続ける訳にもいかないと、ずっと心の底で感じていました。



75年 船浦港1
カンピラ荘の宿泊者を、船浦港で見送ることも日課でした。

女性陣の左がマドンナAちゃん(青森出身) まん中がカンピラ荘の長女Yちゃん 右がA子姉さん(金沢出身)です。右端がマグジョ(高知出身)です。「マグジョが突っ込んだ橋」の命名の張本人ですね。ちなみにA子姉さんは、その後、与那国島に永住したそうです。




西表島船浦
おそらく、10代と思われる住吉丸の船員さんが、左端に写っています。旅の解放感にひたっている私たちの横で、もくもくと肉体労働をしています。


私より年下の船員さんが、荷物の積み下ろしをしているのを見ていて、自分もしっかりと地に足を付けた仕事をしなければいけないと感じた瞬間です。


カンピラ荘の長期滞在者は、南洋土建などでアルバイトをしながら旅をしていたようです。しかし、私の旅のスタイルとは少し違うなあと思っていました。そんな時に喘息の発作が出てしまったのです。




75年 聖徳の浜
聖徳の浜にて。  左がショートクさん、右が私です。 11月となり、西表島も海水温が下がって、海に入るのがつらくなってきました。


この頃、私は喘息の発作が出てきたこともあり、いったん島を出て、ちゃんとした仕事に就いてから西表島を再訪しようと思ったのです。




75年 さようならタケトラ
共に西表島を横断したタケトラが島を出ました。



第三住吉丸
タケトラは、今頃どうしているんだろう。




さよなら西表島
当時の西表島は、高速船が就航していなくて、この第三住吉丸で通いました。住吉丸は、なにしろ足が遅いので、見送りの余韻が長いのです。




照国郵船乗船券
翌年の7月に沖永良部島などに寄りながら、西表島を再訪しました。乗船券の「クイーンコーラル」は、鹿児島港から薩南諸島を経由して、那覇港まで就航していて、私が最も好きな船でした。南沙織が歌う「クイーンコーラル走れ」というテーマソングが、船内に流されていました。



1976年の旅は、沖永良部島・与論島・竹富島・西表島など、約1か月ほど巡りました。その後、私は生まれ育った地に帰って、地元の港湾会社に就職したのです。港湾会社では、企業倒産に伴う再編と人員整理のゴタゴタや、労働組合活動などで忙しい日々を過ごしました。そのため、30年間は、西表島に行くことはありませんでした。



これで、過去への旅路シリーズを終えます。
スポンサーサイト



コメント

長期の旅

オッカイポさん、お若いころに長きにわたって異郷の地に滞在されたことは、大事な思い出になってらっしゃるのでしょうね。
 私にはそういう経験がなく、19歳で家を出たまま、もう二度と戻らなかったのが、長きにわたる旅といえばそう言えるかもしれません。
 とにかく、若い女性たちもいて、オッカイポさんの旅はうらやましいですね。

No title

トニーさん コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、若い時の旅は、その後の人生にさまざまな良い影響を与えてくれました。でも、それはこの歳になって分ることです。旅を終えてからは、南の空に入道雲が出ると、あの雲の下には西表島があるんだなあという切ない気持ちが、10年程続きましたよ。なぜ切ない気持ちになったのかは、お会いしての酒の肴にさせて下さい。
トニーさんも長い旅路の途上なんですね。今後ともよろしくお願いいたします。

No title

石垣港にから沖縄本島行きの船に乗るとき与那国島で別れた友と偶然会い送ってくれました。港での別れはいろいろ思い出し余韻がいつまでも残ります。那覇港から与論島、徳之島とより鹿児島港に着きそこから夜行列車で帰りました。足掛け4年になる旅も終わりました。オッカイポさんにいつか会えることが出来れば旅の思い出話など聞きたいです。

連絡ください。

昔の旅人さん コメントありがとうございます。
当地にアユ釣りに来られるさいに、お会いできると思います。

コメントの投稿

非公開コメント