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コンニャク橋

読者の方でコンニャク橋をご存知でしょうか。

コンニャク橋2 (3)
地元の女性が描いたコンニャク橋です。味のある絵は
つげ義春作品を連想します。コンニャク橋は、私の住む
田舎の町で、生活橋として20年ほど前まで現役でした。


さて、コンニャク橋と呼ばれる由来です。それは、川底に打ち込んだ土台の上に、あゆみ板を固定せず置いただけなので、歩くたびにコンニャクのように板がしなるからです。


あゆみ板を固定しない理由は、台風などで増水した時に、板が流される事で水の抵抗をやり過ごす知恵でしょう。とはいえ、流された板を回収して、再び橋を架けなおす労力は大変なものです。


橋を架けなおす作業は、10人程の男性が無料奉仕でまる1日かかりました。雨の多い年には、10回も架けなおした事もあるし、掛けなおした2・3日後に再び流されるという事もありました。


コンニャク橋が架けられたのは、戦後まもなくの昭和20年代はじめの頃です。それからおよそ70年余り、人々の生活橋としてコンニャク橋は存在していました。しかし、時代と共に人しか渡れない橋の価値は下がり、20年程前に掛け直す事を断念しました。



掛け直す事を断念した理由は、おおよそ4つ考えられます。 ①土台が洪水で流出した ②渡る人がほとんどいなくなった ③ユラユラとたわむ橋から転落する人が続出した ➃架け直す人が集まらなくなった


以上の理由で、コンニャク橋は70年余りの役割を閉じたのです。今は残された土台の一部が寂しく残っています。
コンニャク橋3
土台と土台の間が欠けている状況が分かります。土台が一つ流されたら、苦肉の策で2倍の長さのあゆみ板を架けました。


あたり前の事ですが、あゆみ板の長さが2倍になれば、板の上下のたわみは、2倍以上となります。当然、橋から転落する人が続出して、負傷者が出てしまいました。


そういうさまざまな経緯があり、コンニャク橋はその役割を終えました。コンニャク橋が現存していた当時は、その貴重さが分からず、写真を撮らなかった事が残念でなりません。



コンニャク橋
コンニャク橋が架かっていた周辺の遠景です。


大変な思いをして橋を架け直していた村の古老に話を聞きました。「架け直す事が大変だったのかと? そんな事はたいしたことなかった それよりも作業が終わった後、みんなで飲む酒がうまかったこと 作業で団結が強まり、村の運営がスムーズに運んだこと 今思い返すと、楽しい思い出だ」  これこそ、田舎で生活する醍醐味でしょう。


今回、コンニャク橋の遺構を撮影して、我がふるさとの美しさに感動しました。これからも、ふるさとの景色、人々、生活、民話、歴史などを掘り起こして、ブログを書いていきたいと思います。














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コメント

No title

はじめまして。
オッカイポさんの近くでは山肌の埋め戻して揺れてますね。
こちらはゴミ処理設備で騒動です。
一部の受益者のために大勢の人が犠牲にならなければなりません。
納税者の税金で食っておきながら、許可しか出さない役人に憤りを覚えます。
犠牲になるのは役人からとする法律が必要です。

No title

読者様 おはようございます。コメントありがとうございました。
コンニャク橋の取材をしてみて、我が故郷の美しさを再確認しました。
今後ともよろしくお願いいたします。

No title

かつて鮎喰川にもコンニャク橋がありました(こちらは有名みたいですが)。
自転車やバイクも通行していたそうで、自転車で渡ったと小学生の頃に自慢していた同級生がいましたね。
今調べてみると、橋長210m幅員1m(狭っ!)で、平成19年まで有ったようです。

もっと狭かったような

Shinjiさん こんばんは。コメントありがとうございました。
鮎喰川のコンニャク橋が幅1メートルならば、こちらはおよそ60センチぐらいでしたよ。しかも、最初の橋は、40センチ幅ほどの板が一枚だったらしくて、それは怖い思いをしました。私は4歳か5歳の頃に渡ったのですが、おそらく初期の一枚橋だったように思います。対岸の神社の宵宮に行くために、従兄たちと渡ったと記憶しています。大きい従兄が、ちょうちん!の明かりで板を照らしてくれたのですが、暗い川面が迫ってくるようで、恐怖感を覚えた事を思い出します。

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