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チャイコフスキー 3大交響曲

チャイコフスキーの後期3大交響曲については、2020年12月11日に書いている。
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今回、同じ録音のSACDを購入したので、その聴き比べなども含めて書こうと思う。

私はチャイコフスキーの交響曲4番・5番・6番は、1960年録音のムラビンスキー指揮レニングラードフィルハーモニーを愛聴している。

レコードの解説によると、6番の悲愴は、レニングラードフィルが西側への演奏旅行の途上、ウイーン・ムジークフェラインザールで録音されたとある。

このSACD盤は、2018年に限定発売されたようだ。シングルレイヤー方式とかで、SACD対応プレーヤーでないと再生できない。

SACDの説明文に「ストレスなく耳に届くスケール感、柔らかでアナログライクな質感」とある。通常CDには、そういう部分に欠けるという事なのか。

さて、悲愴の第1楽章と2楽章は、SACDで聴いた。上記のスケール感とアナログライクな質感という点は、何となく分かる。加えて混濁感が無く、オーケストラの細部まで見通せる。

次に第3楽章と4楽章を、アナログレコードで聴いた。2年前の試聴記では、オケが全力で演奏する部分で、それぞれの楽器の音が混濁すると書いている。さらに、国内盤なので、音質が今一つではないかとも書いている。

ところが、今回は、混濁感がほとんど無く気持ちよく聴けた。2年前の試聴記と違うのは、アナログプレーヤーの水平を出したことぐらいなのだが、この違いは何だろう。

そういえば、スピーカー・ケーブルをベルデン9497から、より太いベルデン8471に替えた事も影響しているのだろうか。機器の配置上、ケーブルを長くせざるを得ない事が影響しているのかも分からない。

私はオーディオを趣味とするうえで、ケーブルによる音の違いをことさら強調するのは、本質を見失っていると思っている。とはいえ、そう主張するならば、この事について検証が必要だろう。

さて、音質の事ばかり言及しては、それこそオーディオの本質を忘れていると指摘される。チャイコフスキーの交響曲について書かなければならない。ここでは、3曲を代表して第6番悲愴を取り上げる。

2年前にも書いたと思うが、確か私が二十歳の時、ムラビンスキー指揮レニングラードフィルが来日した。その時、コンサート行けなかった代わりに、数年後、この3枚のLPを購入したのだ。

当時のオーディオ機器は、プレーヤーがマイクロMR611で、カートリッジは型番は忘れたが、オーディオテクニカのVM型だったと思う。

購入当時、3枚のレコードを聴いた印象は覚えていない。今、見るとほとんど針を落としたような形跡がないので、あまり聴く事がなかったのだろう。20歳台前半で、オートバイに乗る事に夢中だった時期に、こんな重い曲は聴かないだろう。

70歳を超えた今、聴いてみると、チャイコフスキーの寂寥感をひしひしと感じる。ところで、悲愴という表題であるが、日本語で連想するような悲哀が主体という事では無いらしい。

本来は、悲痛な思いは底辺にありながら、情熱的な精神性という意味らしい。確かに第1楽章は、出だしから悲哀のてんこ盛りだが、2・3楽章は、一転情熱的である。そして、終楽章は、再び悲哀の中に沈んで行く。

そんな悲愴交響曲を寒い冬に聴くと、ことさら身に染みる。私は自分の事を比較的楽天的な性格だと思っているが、相反する部分も持ち合わせているようだ。

いつになるか分からないが、4番・5番については、気持ちが熟した時に書きたい。













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